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東京地方裁判所 平成2年(ワ)9760号 判決 1991年8月30日

原告

株式会社光南行

右代表者代表取締役

蔡茂雄

右訴訟代理人弁護士

萩原新太郎

辰野守彦

被告

株式会社ホテルニュージャパン

右代表者代表取締役

横井英樹

右訴訟代理人弁護士

塚本重頼

松崎勝一

友添郁夫

石井正行

竹谷智行

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一被告は、原告に対し、原告から金五〇〇億円の交付を受けるのと引換えに別紙物件目録記載の土地及び建物を引き渡せ。

二被告は、原告に対し、原告から金一〇〇億円の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載の建物について所有権移転登記手続をせよ。

第二事案の概要

原告は、原告と被告との間に、被告が原告に対し別紙物件目録記載の七筆の土地(以下「本件土地」という。)を賃貸し、別紙物件目録記載の三棟の建物(以下「本件建物」という。)を譲渡する旨の合意(以下「本件合意」という。)が成立したと主張して、被告に対し、本件土地及び建物の引渡しと本件建物について所有権移転登記手続を請求した。

一争いのない事実

原告は、香港を中心に不動産等及び国際金融業を営む韋氏(ワイス)グループの中心人物であるアレックス・ワイ(以下「ワイ」という。)を実質的オーナーとして設立された不動産売買及び賃貸等を主たる業務とする日本法人である。

被告は、横井英樹(以下「横井」という。)を大株主とする株式会社であり、被告と同一商号のホテルの営業を主たる業務とし、本件土地及び建物を所有するものであるが、昭和五七年二月に発生した火災事故の結果、現在ホテル営業を中止している。

二争点

本件合意の成否

第三争点に対する判断

一原告の主張

原告は、昭和六一年ころから、吉田清貫(以下「吉田」という。)を仲介人として、被告と本件土地及び建物の売買あるいは賃貸の交渉を開始し、数回の交渉の末、昭和六三年一〇月に原告、被告間で本件土地を原告に賃貸する旨の合意が成立し、横井は被告代表者として本件土地賃貸借契約に関する協定書に自署、押印したうえ、右協定書をワイに交付し、ワイは右協定書を承諾する意思表示を行い、右意思表示は横井及び被告に到達した。

その後、さらに原告、被告間で交渉が継続され、平成元年一二月一二日、横井の事務所において、原告、被告間で、次のとおり本件合意が成立した。

(一)  本件土地の賃貸

被告は、本件土地を次の条件で原告若しくは原告の指名する者に堅固建物の新築所有の目的で賃貸する。

(1) 賃貸借の期間は、賃貸開始の日から満六〇年とする。

(2) 本件土地の賃料は、最初の二年間は年間賃料一一〇億円とし、その後は二年目ごとに本件土地の売買に関し国土利用計画法二三条一項に基づく届出をしても不勧告とされる最高値(いわゆる国土法価格)の八パーセントを上限とする適正地代に改定する。

(3) 原告は、その指名する者に本件土地の賃借権の譲渡若しくは転貸をすることができる。

(4) 本件土地の賃借権については原告の選択により、賃借権の設定登記をすることができる。

(5) 原告は、その費用をもって、本件土地上の現存建物(本件建物)を解体、撤去することができる。

(二)  本件建物の譲渡

被告は、原告に対し、本件建物を代金一〇〇億円で譲渡する(なお、この建物の代金は、解体を目的とするため当初無償であったところ、被告による本件建物の占有者等に関する問題解決のための出資に対する原告側の一部負担に代えて、新たに追加されたものである。)。

(三)  融資行為

原告は、被告若しくは被告の指定する者に対し、次の条件で二〇〇〇億円を融資する。

(1) 原告は、被告に対し、次のとおり二〇〇〇億円を貸し付け、被告はこれを借り受ける。

① 本件土地賃貸借に伴う本件土地、建物の引渡しと引換えに五〇〇億円

② 引渡後三か月以内に一五〇〇億円

(2) 貸付金の利息は、最初の一年間については年率5.5パーセントとし、その後については二年毎に長期プライムレートの変動幅に応じた見直しを行う。

(3) 貸付金元本の返済期は右(1)①記載の貸付けの日から六〇年後とする。ただし、原告、被告間で締結する本件土地賃貸借契約がその時点で継続しているときは弁済期は本件土地賃貸借契約が終了するまで到来しないものとする。

(4) 期限の利益喪失事由については銀行取引約定書所定の事由に準ずるものとするほか、左の場合を含むものとする。

① 本件土地について仮差押え、差押えがなされたとき

② 本件土地賃貸借契約が終了したとき

(5) 本件融資に関する遅延損害金は、遅延発生の時点で被告が原告に支払うべき金額に対し、長期プライムレートに年率一パーセントを加えた利率とする。

(四)  本件土地、建物の引渡し

被告は、右融資契約に伴う貸付金のうち、右(三)(1)①記載の五〇〇億円の交付と引換えに、原告若しくは原告の指名する者に対し、本件土地、建物を引き渡し、その後三か月以内に原告は右融資契約の貸付残高の一五〇〇億円を被告に貸し渡す。また右(二)記載の本件建物の代金一〇〇億円の支払いと引換えに、その所有権移転登記手続に必要な書類を原告に交付する。

そこで、原告は、平成元年一二月一四日以降、右の五〇〇億円及び一〇〇億円を日本に送金し、被告に対して履行の催促をしたが、被告は、本件合意の履行に応じない。

二被告の反論

原告から被告に対して、本件土地及び建物の買取りあるいは賃貸借の執拗な申込みはあったが、それはあくまで打診ないし内々の交渉であって、本件合意は成立していない。

本件は大きな取引であり、本件合意をするには被告会社の取締役会、株主総会の手続を要し、契約内容についても細目を含む多くの事項について詳細な取決めが必要であり、また、関連する金銭消費貸借との関係処理とそれに伴う税務問題、さらに、本件土地、建物の賃借権者、占有者、差押債権者等との関係処理等もあり、本件土地、建物に関する訴訟も数件係属していたような状態であったから、まだ、合意が成立し得る状況ではなかった。

交渉の過程で、契約の原案となるようなものは数通出されたが、その内容はそれに承諾を与えることで直ちに契約が成立するような性質のものではなかった。

三裁判所の判断

1  証拠(<書証番号略>、証人吉田、被告代表者横井)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 横井は、昭和六一年六月ころ、京都大覚寺の卜部紫光僧正(以下「卜部」という。)と吉田の仲介により、本件土地の購入を希望していたワイを紹介され、その後、卜部と吉田の仲介で、ワイと横井の間で約四年間に、一〇回ほど、主として横井が経営する東洋郵船が入っている東京のビルで交渉が行われた。

右交渉は、当初は本件土地を原告が購入する方向で行われていたが、昭和六一年暮れころからは、税金の関係から、本件土地を原告が賃借し、見返りとして原告が被告に融資をするという話になり、その後は右融資の額等につき交渉が続行された。

(二) 横井は、昭和六三年一一月ころ、土地賃貸借契約に関する協定書と題する書面(<書証番号略>)及び金銭消費貸借契約に関する協定書と題する書面(<書証番号略>)(以下、右の二通の書面を「本件協定書」という。)にそれぞれ自署し、また、横井個人の実印を押したうえで、それらを吉田に渡し、吉田に対し、本件協定書を香港にいるワイに交付し、同人を契約締結のため東京に呼びよせるよう依頼したものの、吉田に委任状を交付することはせず、正式の契約書はワイが来日した際に作成するつもりであった。さらに、横井は、その際、本件協定書に加え、本件土地の借地人であったキャバレー「ニューラテンクォーター」(以下「ニューラテンクォーター」という。)の立退問題等に関する覚書(以下「本件覚書」という。)にも自署し、また個人の実印を押したうえで、それを吉田に交付した。

ワイは、香港において吉田から本件協定書の交付を受け、吉田に対し、その内容を了承する趣旨の意思表示を行い、その後、来日した。

なお、本件協定書には、原告の記名押印もされているが、格別調印式も行われず、また、右協定書においては、当事者、本件土地の転貸先、金銭消費貸借契約締結予定日、金銭の貸渡期限、根抵当権の極度額等の記載もなく、空欄となっていた。

(三) 当時、被告にとっては、ニューラテンクォーターの立退問題が未解決で懸案事項になっていたが、平成元年七月ころ、右問題は解決した。

(四) ワイは、平成元年一二月、横井からの要請に応えて来日し、ワイと横井は、同月一三日、東京で交渉を行ったが、その場で横井の側から本件合意についての被告会社の取締役会による承認手続の問題が出され、結局、交渉は不調に終わり、ワイは落胆して日本を去った。その後、ワイと横井は直接に会ったことはない。

右交渉の際、ワイから土地賃貸借契約書及び金銭消費貸借契約書の各原案(<書証番号略>)が提出されたが、そのいずれにも、被告のみならず、原告の記名、押印もないままに終わった。

このころ、本件土地、建物に関して、第三者から被告に対する貸借権確認等の訴訟がいくつか係属していた。

(五) 横井は、平成二年三月三〇日、本件被告代理人松崎勝一弁護士(以下「松崎弁護士」という。)に対して、本件土地の賃貸借契約の交渉を委任し、その後、右契約に関して、松崎弁護士と本件原告代理人萩原新太郎弁護士(以下「萩原弁護士」という。)との間で交渉が行われ、萩原弁護士は、平成二年五月二三日ころ、松崎弁護士に対し、本件土地に関する「土地賃貸借契約書(第一案)」と題する書面(<書証番号略>)を送付した。

(六) 本件訴訟は、横井の刑事事件の判決言渡期日の約二週間前に、松崎弁護士が外遊中に提起された。

2  前項の認定事実に基づいて、本件合意の成否について検討する。

(一)  右の経過から明らかなとおり、本件合意については、正式の契約書が作成されていないが、本件合意のような取引が成立するとすれば、極めて高額の物件を対象とする大型の取引であり、契約条項も当然複雑とならざるを得ないと予想されるのであるから、原告と被告が正式の詳細な契約書なく確定的な合意をするとは通常考えられないところである。そして、原告は平成元年一二月一二日に本件合意が成立したと主張するが、前記のとおり、同月一三日にワイから土地賃貸借契約書及び金銭消費貸借契約書の各原案が提出されたことに照らしても、原告と被告がそのころ確定的な合意に達したとは解しにくい。

(二)  また、平成元年一二月当時、横井が刑事事件の被告人の立場にあったことを考えると、仮に横井が持株比率の高さから、実質的には被告会社の取締役会及び株主総会の決議を左右するだけの権限があったとしても、前記のとおり大型の取引を内容とする本件合意については、横井としても慎重を期して事前若しくは事後に取締役会及び株主総会の承認を得たであろうと推測されるのであるが、そのような形跡はないのである。むしろ、当時、被告は、本件土地、建物に関していくつかの訴訟事件を抱えていたばかりか、税金処理等未解決の問題もあったことを考慮すると、被告としても、簡単に本件合意をできない状況にあったものと認められる。

(三)  本件協定書には、横井の自署及び実印の押捺があり、そこでは物件及び賃料等も特定されているのであるから、格別の事情がない限り、横井が本件協定書の内容を一つの腹案としてワイに打診する意向を有していたと認めるのが相当である。

しかし、本件協定書においては重要な事項のうちのいくつかが空欄のまま残されており、しかも横井の自署には代表取締役の肩書の記載がなく、社判も押されていないのであり、右事実に、調印式もされなかった事実を併せ考慮すると、ワイ及び横井が本件協定書において確定的な合意をする意図を持っていたとは認められない。

(四)  前記のとおり、平成元年一二月一三日以降においても、原告及び被告の各代理人が本件土地の賃貸借契約締結について折衝を続けたが、その過程の平成二年五月二三日ころに萩原弁護士が提示した契約書案には、「第一案」と付記されていたのであるから、これは、契約締結前の原案にすぎないとの趣旨のものと見るのが相当であり、その記載内容に照らしても契約が成立していることを前提として原告が被告の任意履行を求めるために履行方法を明示したにすぎないものであるとは解し得ない。

以上のとおりであり、本件合意が成立したとする原告の主張は採用できない。

なお、吉田は、ワイと横井の間では、吉田が本件協定書をワイのもとに持参した時点で、取り決めるべき事項については取決めが終了し、両者の間で完全に合意ができていた旨供述する。

しかし、右供述は、吉田の当時の個人的な観測を述べたにすぎず、横井とワイが現実に本件合意をしたという趣旨のものでないことはその供述自体から明らかであるから、裁判所の右の判断を左右しない。

第四結語

右のとおり、本件合意が成立したと認めることはできないから、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官石垣君雄 裁判官木村元昭 裁判官古谷恭一郎)

別紙物件目録<省略>

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